丸亀街道

 こんぴら参りが盛んになったのは江戸中期からだそうです。
 金毘羅さんに続く五街道(丸亀、多度津、高松、阿波、伊予・土佐)のうち、最も栄えたのが丸亀海道で、丸亀の港には、大阪や備前などから出航する○に大きな金の字が染め抜かれた金毘羅船や、各地の物産や人を積み込んだ大小の船がひっきりなしに出入りしていたそうです。





 【太助燈籠】

 画像
 画像

 港には、夜間の船の航行を助けるために、青銅製の燈籠が建てられていました。
 現在は、この太助燈籠を丸亀街道の起点として、ここからスタートする人が多いそうです。









 画像

 丸亀駅前の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の前を南に進み、

 画像

 道路反対側の焼肉レストラン大牛からの道にしたがって右折。

 画像

 左手の駐車場の先を左折します。

 画像

 反対の右手建物は、大きな分度器や鉛筆がある面白い建物でした。
 さてここから、丸亀街道に沿って南へ進んで行きます。









 【寿覚院山門前の燈籠】

 右側に現れた燈籠。

 画像
 画像

 「左 金毘羅道」、「本宮百五十八丁」と刻まれた道標を兼ねた燈籠。
 という話ですが、ハッキリ言って、そんな文字は見つかりませんでした。
 何処に書いてあるんだろう?





 【四角柱道標】

 広い道を横断すると、真新しく整備された一角に四角柱道標が右にありました。
 道路の改修の度に転々としていて、街道景観整備事業により、ここに移されたそうです。

 ここには、ベンチと中府大鳥居までの地図がありました。

 画像

 正面 「すく こんひら」

 画像

 裏面 「右 かわくち」
 「かわくち(川口)」は丸亀湊のことだそうです。

 画像

 左面 「左 こんひら道」

 置かれていた本来の向きが全くイメージできません。
 何処にどちら向きで置かれていたのでしょうか?

 少し前には、先の「寿覚院山門前の燈籠」と一緒に置かれていました。

 画像




 【四角柱道標】

 琴平町の作成するあるパンフレットには、今までの燈籠や道標の写真は出て来ず、この四角柱道標の写真に1番が付されています。
 意義あるものはここから始まるのでようか?

 画像

 右面 「田宮坊太郎墓所」

 画像

 正面 「すぐ こんひら道」





 【南条町石燈籠】

 前方に石燈籠が見えます。 

 画像

 燈籠の前を横切る道路は、江戸時代は丸亀城の外堀でした。
 外堀を渡る橋がかかっていたそうです。

 画像

 左に向かって撮りました。
 右の縦に走る道路も、前方に見える三越の前を横切る道路も、丸亀城の外堀でした。








 鶏鳴軒の道標

 大正3年に、鶏鳴軒という床屋さんが、阿波に向かう人々のために、ここから真っ直ぐ行く新しい道を教えるために建てた道標。
 こんな所にちゃりんこを停めて、ホント、ワカッチャーいないなぁ・・・。

 画像

 「北 汽車海岸へんろ道」

 画像

 「西 ぜんつうじことひら道」

 画像

 「南 このさきだいせん阿波街道」

 と書いているらしいのだが、3面ともに、私にはそう読めませんでした。
 この道標から右折します。









 【百四十丁石燈籠】

 前方に石燈籠が見えてきました。

 画像
 画像
 画像

 もともと道標だったものを燈籠にしています。

 画像

 140丁 × 80m = 11,200m

 金毘羅まであと11,200mです。





 【起点石】 と 【中府大鳥居】

 前方に中府の大鳥居が見えてきました。
 画面の右下に電柱と一緒に並んで立っているのが、丸亀街道の入り口を示す小さな起点石です。

 画像
 画像
 画像
 画像

 「従是金毘羅町口江 百五十丁」

 丸亀街道は4里(12㎞)。
 1丁は80mですから、丸亀街道は150丁になります。
 金毘羅まで150丁と掘っている石ですから、起点石です。

 さっき、金毘羅まで140丁の石燈籠がありましたので、この起点石のある場所が間違っていることになります。
 もとは、河口(丸亀湊)にあったそうです。





 画像








 トシの旅
 http://blog.goo.ne.jp/tositaro191919/e/e426988928794708924ecbde17a09801


 旧街道を歩く
 http://blowinthewind.net/kaido/marugame/marugame1.htm








この記事へのコメント

この記事へのトラックバック