契約満了 @カマタマーレ讃岐

 「カマタマーレ讃岐では、下記の選手との契約満了に伴い来季の契約を更新しないことが決まりましたので、お知らせいたします」

 「J2に昇格したけん、お前らなんかいらん」っていうことなんだろうねぇ・・・。



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「今シーズンをもって、チームを退団する事になりました。
 このクラブに来て、正直戦力になれたかは分かりませんが、自分が在籍している時にJ2に昇格出来た事は自分の使命を少しでも果たせたかなと思っています。
 6年という長い間、熱い声援を送って下さったサポーターの皆さん、支えて下さった皆さん、本当にありがとうございました。
 試合のきつい時に、パワーをくれたあの応援は決して忘れません。
 これからも自分は、熱く、強い気持ちを絶やすことなく頑張るので、温かく見守って頂ければ嬉しいです。
 今までどうもありがとうございました」
http://www.kamatamare.jp/news/2013/12/df.html



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「今季をもってカマタマーレ讃岐を退団することになりました。
 カマタマーレ讃岐がJ2昇格するという目標の為に今日まで走り続けてきた日々に悔いはありません。
 そして自分が今まで三年間在籍して出会った全ての選手と、このチームで共に闘えたことを誇りに思います。
 仲間は最高の宝です。
 この先どんな道が待っていようと自分を信じて突き進めればと思っています。
 今日まで熱い応援をして頂いたファン・サポーターの方々には感謝の気持ちしかありません。
 本当にありがとうございました。
 サポーターの皆さん、来季J2の舞台では今まで以上にカマタマーレ讃岐と共に熱く闘い続けて下さい」

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「今シーズンをもって、カマタマーレ讃岐を退団することになりました。
 カマタマーレ讃岐で昇格を2回経験し、非常に充実した5年間でした。
 こうした経験が出来たのも、沢山の方々からの支えがあったからだと思っています。
 今まで共に戦ったチームメイト、コーチングスタッフ、クラブスタッフ、スタジアムでチームを支えてくれたボランティアスタッフの皆様、そしてどんな状況でも一緒に戦い支えてくれたサポーターの皆様、本当にありがとうございました。
 今後についてはまだ決まっていませんがこれからもサッカーに関われたらと思っています。
 最後にサッカーしか知らない自分を今まで応援し続けてくれた家族、そして側で支えてくれた嫁に感謝しています。
 ありがとう。
 これからもカマタマーレの応援宜しくお願いします」

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「これまで、どんな時もたくさんの熱い応援ありがとうございました。
 この5年間、カマタマーレ讃岐で2度も昇格を経験できたことは誇りに思います。
 最高の仲間と本当に幸せな時間を過ごすことができました。
 最後に、いつも支えて下さったスポンサーの皆様・クラブスタッフ・サポーターの皆様、そして大切な家族には感謝の気持ちでいっぱいです。
 この思いを忘れずに挑戦し続けたいと思います。
 本当にありがとうございました」

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「今シーズンをもって、退団することになりました。
 2年間という短い間でしたが、お世話になりました。
 プロ生活をスタートさせてもらえたこのクラブで、色んな事を吸収出来ました。
 特に今シーズンはJリーグ昇格を果たせましたし、密度の濃い1年になりました。
 スポンサー様、これまで応援して下さったサポーター・ファンの皆さん、本当にありがとうございました。
 来年からも更なるカマタマーレ讃岐へのご支援・ご声援の程よろしくお願いします。
 また太田圭祐の応援もして頂けたらと思います。
 本当にありがとうございました」
http://www.kamatamare.jp/news/2013/12/post-1291.html

「この度、アルビレックス新潟シンガポールに移籍する事になりました。
 日本でプレーする事と相当悩んで、いろんな方のアドバイスや意見を聞く中で、「自身の成長」と「キャリア」にフォーカスして考えた結果、海外でチャレンジする選択になりました。
 カマタマーレでの2年間は自分にとっては多くの事を吸収出来たので、シンガポールでは少しでもその経験を伝える事と自分のステップアップが出来たらと思います。
 遠くはなりますが、これからも太田圭祐のチャレンジを温かく見守って頂けたら嬉しいです。
 応援よろしくお願いします」
http://www.kamatamare.jp/news/2013/12/post-1305.html



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「このたびチームを退団することになりました。
 ファンやサポーターの皆さんの声援にはいつも100%以上の力を出させてもらいました。
 本当にありがとう。
 そして昇格のために全力をつくしてくれたフロント、チームをサポートしてくださった皆様、自分を成長させてくれた監督、スタッフ、苦楽を共にした最高の仲間、いつも支えてくれた家族に感謝の気持ちでいっぱいです。
 みんなで昇格を勝ちとれたことは一生の宝物です。
 これからどの道に進んでも、自分らしく全力で突き進みます。
 本当にありがとうございました」
http://www.kamatamare.jp/news/2013/12/fw.html



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「1年間応援ありがとうございました。
 知らない事、わからない事が多い中、監督・コーチ・チームメイト・サポーターのみんなが優しく接してくれてカマタマーレ讃岐に加入して、本当に良かったです。
 できれば来年も同じ日本でプレーできるよう頑張ります」
http://www.kamatamare.jp/news/2013/12/df-1.html









 カマタマーレ讃岐 J2への軌跡

 カマタマーレ讃岐がJ2昇格を果たし、香川初のJクラブが誕生した。
 1956年の「高松商高OBサッカー部」創設から57年。
 「高商クラブ」、「香川紫雲FC」など変遷を経ながら、県サッカー界の悲願達成までの軌跡をたどるとともに、新たな舞台に挑む課題を探った。

 http://www.shikoku-np.co.jp/sports/kamatamare/20131217000113
 http://www.shikoku-np.co.jp/sports/kamatamare/20131218000148
 http://www.shikoku-np.co.jp/sports/kamatamare/20131219000159
 http://www.shikoku-np.co.jp/sports/kamatamare/20131220000132
 http://www.shikoku-np.co.jp/sports/kamatamare/20131221000130





 産声

 「Jリーグへの道を絶やさなくてよかった」―。

 2006年に発足した「カマタマーレ讃岐」の初代監督で、チームの前身だった「高商クラブ」時代から選手、監督として歴史を見続けた一人、土居幹夫(50)=高松工高教=は目尻を下げ、こう加えた。
 「J2昇格は素直にうれしい。昔の選手は皆、同じ気持ちですよ」

 半世紀を超える歴史の中、チームが初めて脚光を浴びたのは1993年の東四国国体。
 「高商クラブ」を母体に強化が始まり、1991年には「香川紫雲FC」に改称。
 潤沢な強化費が注がれ、アマチュアトップレベルの選手も招集された。
 時を同じくして国内初のプロサッカー、Jリーグが誕生。
 全国各地でサッカー熱が高まった。

 ただ、「香川紫雲FC」はあくまで国体優勝が最大の目的。
 大会後、チームは所属していた四国リーグを戦い続け、天皇杯など全国大会にも出場したが、Jクラブに発展する機運は皆無に近かった。

 県からの強化費は削られ、遠征費は選手の自己負担、練習は仕事が終わった夜。
 さまざまな負担が選手にのしかかり、1990年代後半には解散・四国リーグ撤退の話がちらついた。

 それでも踏みとどまった。
 「続けていれば、いつかJを目指せる時が来るかも知れない」と土居幹夫。
 知り合いを頼りながら存続の道を模索し、消費者金融会社と5年間のスポンサー契約が成立。
 2000年春、「サンライフFC」として再出発を切った。

 だが、安心してサッカーができる時間は短かった。
 契約切れが近づいた2004年。
 当時、選手兼監督だった土居幹夫は再び存続に向け、奔走した。

 このとき、支援に手を挙げたのが、ともに「高松商高OBサッカー部」でプレー経験のあった山下憲一(65)と住谷幸伸(59)だった。
 日本サッカー協会理事も歴任した山下憲一は「県サッカー界のレベル向上にJクラブの必要性を感じていた」といい、高松市議だった住谷幸伸は欧州での地域密着型スポーツクラブの視察経験も踏まえ、「スポーツの力をまちづくりに生かしたい」

 駆け足で準備は進み、2005年春、Jリーグ入りを目標に掲げた「高松FC」が産声を上げた。
 土居幹夫は振り返る。
 「Jはまだまだ遠かった。でも夢はつながった」





 理想と現実

 「なんで土のグラウンドなんだ」
 「仕事で練習どころじゃない」―。

 「高松FC」発足から1年後の2006年春、チームは公募で決まった「カマタマーレ讃岐」に改称。
 初の入団テストなども行い、Jリーガーを夢見る若者や元Jリーガーが仲間入りした。
 しかし、彼らにとって希望に燃えた新天地は、Jリーグを目指すにはほど遠い環境だった。

 「Jのクラブはどうやってつくればいいのか、資金集めはどうすればいいのか。全ては走りながら考えるしかなかった」。
 「カマタマーレ讃岐」前社長の住谷幸伸(59)は、当時の実情を打ち明けた。

 選手は昼間、クラブから紹介された企業やアルバイトで生活費を稼ぎ、練習は夜。
 会場は転々とし、芝生のグラウンドもめったに使えなかった。

 「カマタマーレ讃岐」1年目に主将を務めた富永信之(38)は、不満を募らせる選手たちの心情を理解した上で「結果を出し、自分たちの力で環境を変えるしかない」と説得に努めたという。

 グラウンド外では資金集めに悩まされた。
 「Jリーグ入りを目標に掲げたものの、サッカー好きが集まった素人の運営。なかなか振り向いてくれないですよ」と住谷幸伸。

 理想とした「県民が支える地域に根ざしたクラブ」。
 現実はあまりに厳しかった。

 一筋の光が差し込んだのは「カマタマーレ讃岐」3年目の2008年。
 現サッカー解説者の羽中田昌(49)の監督就任だった。

 事故で車いす生活になりながら、日本サッカー協会公認のS級コーチの資格を取得した新指揮官が話題を呼び、クラブは新聞やテレビなどで全国に発信された。
 「あれでJを目指す本気度も広く伝わった」とは、羽中田昌を熱心に口説いた元監督の土居幹夫(50)。
 地元企業、県民の支援の輪が少しずつ広がった。

 現場にも変化があった。
 練習は夜から午前中に切り替わり、芝生での練習も一定程度を確保。
 加えて、当時を知る7年目の綱田大志(29)は「注目されて選手の気持ちも盛り上がった」。
 戦うモチベーションもぐっと高まった。

 現実は甘くなかった。
 2008年は四国リーグを制しながら、JFL昇格を懸けた全国地域リーグ決勝大会で敗退。
 2009年は四国リーグ2位。

 この年を最後に退任した羽中田昌は「選手は必死に強くなろうとした。JFL昇格を果たせなかったのは自分の力不足」と述懐した。
 しかし、クラブ関係者は声をそろえる。
 「カマタマーレ讃岐が目標に向かって大きく前進した2年間だった」。
 夢の実現へ確かな手応えを感じていた。





 意識改革

 「最後の1試合で4年間の積み重ねの結果が決まってしまうんだなと考えると、本当に怖いよね」―。

 J2入れ替え戦第2戦を4日後に控えた12月4日のチーム練習後、高松市出身で「カマタマーレ讃岐」監督の北野誠(46)は思いを巡らせながら、こうつぶやいた。

 4年前の2009年11月下旬、JR熊本駅前にあるホテル内の喫茶店。
 直前にJ2熊本監督の退任が決まった北野誠は現社長の熊野実(65)と現副社長の山下憲一(65)と向き合っていた。
 「監督として地元に帰ってきて火をつけてほしい」。
 古里にJクラブを誕生させる夢を切々と説かれたが、「(当時所属していた)四国リーグのことは全く知らなかったし、見たこともなかった」と、一度は態度を保留した。

 「カマタマーレ讃岐」よりも好待遇のJクラブの監督やコーチの誘いもあった。
 それでも、監督就任の決め手となったのは地元の友人の熱烈なラブコール。
 「自分の中で香川と言えば、友達だった。古里のためにJリーグクラブをつくろうと」。
 指導者仲間の後押しや、フロント幹部たちのサッカーへの情熱にも絆(ほだ)された。

 2010年2月。
 監督を引き受けた北野誠の戦いが始まった。
 最もJクラブとの違いが大きかったのが、「選手の意識の低さ」。
 その改革のためチームに植え付けたのが規律だった。
 練習着の統一、更衣室での着替え、練習後のシャワー、試合へのバス移動…。
 チームに約束事を徹底させ、選手たちに集団意識を吹き込んだ。

 “熱”が伝わるのにそう長い時間はかからなかった。
 その2年前に加入した神崎亮佑(31)は「インパクトがあった。アマチュアの仲良しクラブに団結力が生まれ、プロ意識が芽生えた」と振り返る。
 プロ選手のマネジメントに悩まされ続けてきた前社長の住谷幸伸(59)も「選手との関係の悩みはぴたりとなくなった」。

 2010年の「カマタマーレ讃岐」は前年に比べて強化費を約2,000万円圧縮したにもかかわらず、四国リーグで2年ぶりに優勝。
 JFL昇格を懸けた全国地域リーグ決勝大会も、「入れ替え戦と同じぐらいプレッシャーがあった」との北野誠の心配をよそに無敗で駆け抜けた。
 J入りを標榜してから6年目。
 就任1年足らずの指揮官の手腕によって、何度も跳ね返された壁を破り、次の全国ステージへ導かれた。

 熊野実と山下憲一は目線を合わせ、少し誇らしそうに口をそろえた。

 「北野誠を招へいできたのが、この4年間の最大のヒットだった」





 堅守速攻

 堅守速攻―。

 北野誠(46)が「カマタマーレ讃岐」の監督に2010年に就任してから掲げるスタイルは一貫している。
 Jリーグに昇格するために何が必要か。
 「勝利にこだわる」との答えを導き出し、4年計画で目標を遂げるために必要な要素を肉付けしてきた。

 北野誠は2009年のJ2熊本監督時代、パスをつなぎ、ボール保持率を高めるポゼッションサッカーを標ぼうした。
 だが、「カマタマーレ讃岐」では戦力、J2昇格という最大の目標を踏まえた最善の策として、J2熊本とは180度異なる「縦に速いサッカー」を選択した。

 JFL1年目の2011年は「布石の年」だった。
 クラブの事情で強化費を大きく割けず、北野誠は自身も含めた「学びの時間」として捉えた。
 その代表的な取り組みが3―3―3―1への挑戦。
 アルゼンチンの名将・ビエルサがチリ代表監督時代に実践した戦術を取り入れ、国内では珍しい布陣にチーム全員で挑んだ。

 3―3―3―1の狙いは「縦への推進力」。
 攻撃時、ボールを持った選手を後ろから別の選手が追い越す約束事を徹底した。
 当時、MFとして中心的な役割を担ったホームタウン活動・普及コーチの中島健太(29)は「全員が流動的に動かないと、機能しなかったけど楽しかった。ゴールへ向かう意識が染みついた」と振り返る。

 JFL2年目は守備の改善をテーマに「準備の年」と位置付けた。
 11位に終わった1年目は49失点。
 自分たちのスタイルを極めながらも、失点を前年より20減らして29。
 順位を4位に押し上げた。

 「勝負の年」をうたった今季。
 3年間のベースに木島良輔(34)と高橋泰(33)のベテランFWの決定力を上積みした。
 主将の西野泰正(31)が「試合を決める選手が入ったのは大きかった」と語る通り、木島良輔はリーグ2位の15得点。
 7月に加入した高橋泰はJ2入れ替え戦での2試合連続ゴールを含む12試合9得点と、大車輪の活躍だった。

 北野誠を補佐するヘッドコーチの上村健一(39)の存在も大きかった。
 指揮官と選手をつなぐパイプ役となり、オンとオフの顔を使い分けて、「チーム一丸」の雰囲気を作り出した。

 8日の入れ替え戦第2戦。
 数的不利となった後半の印象が強いが、攻守がかみ合った前半こそ、4年間、築いてきたスタイルの完成形がピッチ上で表現されたと、チーム関係者は口をそろえる。

 「うちがやってきたシステムやトレーニングが全てはまる相手だった。『俺、持ってるな』って」

 J2昇格を決め、興奮冷めやらぬ第2戦の直後、北野誠はにやりと笑った。





 愛されるクラブへ

 Jリーグ入りを旗印に掲げた「高松FC」時代を含め、「カマタマーレ讃岐」が歩んできた9年間、クラブ経営は苦難の連続だった。
 長年、経営に携わった前社長の住谷幸伸(59)は「目の前の壁を乗り越えていくので精いっぱい。J昇格は夢みたいな話だった」と顧みる。

 特に資金繰りに苦労した。
 クラブの総事業費は「高松FC」が発足した2005年が約500万円。
 JFLに昇格を果たした2010年には約7,000万円にまで増大したが、他のクラブと比べても「破格の安さで昇格できた」(住谷幸伸)。
 さらにJFL時代はJ2入会基準の1億5,000万円以上を意識し、“出費”ありきの予算組みだったという。

 事業規模を拡大するにつれ、単年度ごとの赤字もかさんだ。
 2012年決算では債務超過が7,300万円超に膨らみ、経営にずしりと負担がのしかかった。
 それが顕在化した出来事が同年9月のJ2クラブライセンス申請の取り下げ。
 J2入会には債務超過の解消が義務付けられている。
 そのめどが立たず、チーム成績の結果を待たないまま、シーズン途中で昇格の可能性は消滅した。

 支援の輪が広がった今季はスポンサー収入や財務面をはじめ、観客動員など数々のハードルを乗り越え、入会審査を突破した。
 だが、依然、ユニホームの胸スポンサーが決まらないなど、Jリーグ側の見解は「財務状態は極めて厳しい」。
 引き続き、経営基盤の強化が求められている。

 一般的に人気の高くないJFLでの3年間、ホームの観客数にも悩まされた。
 今季はJ2入会基準の1試合平均3,000人以上を満たすため、無料招待を行ったが、来季からは有料となる。
 社長の熊野実(65)は「入場料は収入の柱の一つ。年間パスを1,000枚以上販売するのは至上命題だ」と、新たなサポーター獲得に意欲を燃やす。

 今季、大きな一歩を踏み出した取り組みもある。
 「地域密着」を実践するホームタウン活動がそれ。
 今季の数は各種イベントへの選手参加など150回近くに上った。

 中でも好評だったのが、幼稚園や小学校などで出前教室を開くスポーツキャラバン。
 10月以降の平日はほぼ毎日、予定が埋まり、活動の中心的役割を担う中島健太(29)は「正直、めっちゃ手応えはありますよ」と頬を緩める。

 今はJ2昇格のお祝いムードが漂うが、今後、同じカテゴリーに居続けることができれば、いずれ「J1へ」との期待が高まってくるのは想像に難くない。
 「その時」を迎えるまで、いかにクラブの魅力を磨き続け、上のステージを目指せるだけの力を蓄えられるか。
 より地域に愛されるクラブへ、たゆまぬ努力がその鍵を握っている。