「いただきさん」の祖 糸より姫

 読売新聞の「探Qかがわ」に、「讃岐文化いただきさん」があった。
 http://design.a-mz.com/syoku-utuwa/gyosyo/takamatu/takamatu1.htm

 愛媛県の今治市にも荷車で魚の行商をするお婆さんたちがいるが、呼称はなかった。
 http://design.a-mz.com/syoku-utuwa/gyosyo/imabari/imabari1.htm

 高松市だけが「いただきさん」って呼ぶのが不思議だった。
 おっ家内さまも知らなかったようだ。
 四国の人間じゃないからねぇ …_| ̄|○

 早速、糸より姫の銅像の写真を撮ってきました。


 『料理通信』アンバサダーブログ
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 讃岐文化 いただきさん (探Qかがわ 読売新聞社) 

 瀬戸内海でとれた新鮮な海の幸を売り歩く女性行商人「いただきさん」。
 サイドカーのような荷台が付いた専用の自転車「横付け」に乗ってまちを走る姿は讃岐名物の一つです。
 高松市内では午前中、道端に停めた横付けに、近所の人が集まる光景を見ることができます。
 後を継ぐ人がおらず、年々減っていますが、いただきさんの文化を未来に残そうという取り組みも出てきています。

 高松市の沖に浮かぶ男木島や女木島などの島々では昔から、男性が漁に出て、取れた魚を女性が桶に入れて売り歩いていました。
 島の道はどこも狭く、自然と、桶を頭の上に載せて運ぶようになったそうです。
 頭にものを載せることを「いただく」ともいいます。
 そこから、そうした女の人たちを「いただきさん」と呼ぶようになったとされています。

 「糸より姫伝説」もあります。
 南北朝の頃、京から讃岐の海岸に流されてきた若い姫が地元の青年と結ばれた。
 姫は浜で漁に使う網をより、桶に魚を入れて売り歩くようになり、「糸より姫」と呼ばれるようになった。
 というものです。

 言い伝えでは、桶を頭にいただいて売り歩いたのは糸より姫が始まりとされ、鮮魚を行商する女性を、尊敬の気持を込めて「いただきさん」と呼ぶようになったともいわれています。

 桶を頭に載せて売り歩くスタイルは大正時代には姿を消し、手押し車やリヤカーを使うようになりました。
 1955年頃、高松市内の自転車店が、いただきさんのために荷台を付けた自転車「横付け」を発売すると瞬く間に広がり、今に続いています。

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 http://ameblo.jp/kitaokaudon9/day-20110629.html




 いとより浜
 http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/naiyou/minwa/minwa1/minwa3/minwa3.htm

 屋島の合戦に敗れた平家一門は、海へ山へと落ちていった。
 そして、海上ではかなくなった者、四国の山ふかく逃がれて行った者、その末路は哀しい。
 戦の場でいさぎよくはてた者にひきかえ、平家落人の話はすべて哀切きわまりない。
 まして、それが、平家女人の落人となると涙なくしては語れない。

 だが、こんなけな気な話も残されていた。
 平家の姫は従者とともに小舟に乗って、波間をただよった。
 いくら波静かな瀬戸の海とはいえ、都育ちの姫にとっては闇にくれた海上がどんなに恐ろしかったことか。

 現在の瀬戸内町、いとよりの浜へ小舟はただよい着いた。
 夜あけの浜で、姫は涙を洗い流した。
 ついきのうまでの栄華も夢なら、闇の海をただよった恐ろしさも夢のまた夢、姫はきものの裾もきりりと短めに、この浜で生きようと強く決心。

 従者がとってきた魚を、ハンボに入れて
 「おさかなどうええ。」と街へ売りに出た。
 とれとれの魚は生きがいい、いつのまにかイタダキさんと呼びならわして、人々は心待ちにするようになった。

 ハンボの頭上運搬の風習は変わったものの、現在も定まった町角で、イタダキさんは魚の荷を開く。
 イタダキさんという呼び名は、むかしのままに続いている。

 「春の魚がきたがな。」
 「はるいお,おごろうぜ。麦うらしに行ったんな。」
 イタダキさんとの会話はたのしい。

 「オコゼの味噌汁は腹ぐすり。」
 「ナマコは仙気ぐすり。」
 「鰆の尻尾は,門口に打ちつけておきまい。雷除けだといいまっせ。」
 イタダキさんは、とかく物知り。
 魚の調理方法は言うに及ばず、春の魚、冬の魚、四季折り折りの魚の顔をちゃんと覚えている。

 なお、この糸より浜のいとより姫は、平家の落人という話と、南北朝の争乱をさけて流れ着いた貴人という説もある。
 いずれにせよひなにはまれな高貴な姫君が、イタダキさんの祖であることには違いがない。

 新田藤太郎作のいとより姫の銅像が、いとより浜(糸より神社)に建っているが、その面ざしは優にやさしい。

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 いとより浜へ流れ着いたいとより姫は、こんな方法で魚を商い強く生きたのだ。
 そして、幾人かの子も産んだという。

 イタダキさんが運んで来る魚は、むかしのままにおいしい地の魚であることは、今日も変わっていない。



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